コンテンツへスキップ

久坂玄瑞の京都を・・

14日15日とで久しぶりに大阪京都の顧客訪問をした。
その後、15日の午後半日休暇を取り
  
 久坂玄瑞が京都で過ごした足跡の一部を訪ねながら
 
  ・角屋 (遊郭で長州藩など幕末主役達の密儀の場所)
  ・蛤御門(禁門の変の舞台)
  ・鷹司邸(久坂玄瑞自害の場所)
  
 
 彼の生きざまを考えて見ました。
 
久坂玄瑞は吉田松陰の松下村塾の優等生の一人で奥さんは吉田松陰の
妹でつまり吉田松陰の義理の弟になる。
萩の松下村塾は実質3年程度しか稼働していないが、実に多くの有名人
が生まれている・・かなりの田舎なのに不思議である。
 
  ・高杉晋作(奇兵隊の創設者で軍隊の隊はここから来ている)
  ・伊藤博文(初代内閣総理大臣でのちハルピンで暗殺される)
  ・山県有朋(第3代9代内閣総理大臣)
 
松下村塾の三秀は
   
  ・久坂玄瑞(25才)京都御所内の鷹司邸で自害
  ・高杉晋作(28才)肺結核で病死
  ・吉田稔麿(24才)池田屋事件で殺害される
 
でそれそれ20台の若さで他界したが、幕末の日本の近代史の歴史を作った
人達なのだろうと思うが・・
 
 攘夷運動・・
 
長州(山口)の片田舎から火が付いた尊王攘夷運動が徳川300年の歴史を終
わらせて結果として新しい日本が生まれた・・革命だね、これは、
でも、その立役者の一人の久坂玄瑞はその姿を見ていない。今日は彼の目線
で以下の3カ所を訪ねてみた。
 
 
・京都島原の角屋を訪ねる
 
 いわゆる高級遊郭である。ネットや電話の無い時代はこのような場所で攘夷
 論争や朝廷工作、薩会対策などを熱く議論をしたのだろうと思う。
 当時は祇園より高級な場所で有ったとの事で現在は重要文化財になっていた。
 遊郭が重要文化財・・と思うが一階は見学が出来た。久坂玄瑞、西郷隆盛等
 等幕末の有名人が多数で、新選組のアル中の芹沢鴨の刀傷が残っていた。
 久坂玄瑞の碑の前で写真を撮る・・
 
 
・蛤御門を訪ねる
 
 長州が先鋭過ぎる(若過ぎる)攘夷思想に朝廷もを徳川も付いて行けずに、
 来島又兵衛率いる長州軍が曖昧な朝廷に武力で攘夷を・それを薩摩と会津
 つまり薩会軍と戦い惨敗する。 朝廷を武力で・を反対していた久坂玄瑞
 は結果として後から参加するが時遅し・・
 薩摩と会津が手を組んで長州と・・はどうも時代の掛け違いなのか・?
 
 
・鷹司邸を訪ねる
 

photo_1015

 蛤御門を入り御所の中を10分程度歩くと鷹司邸の跡地が
 見つかった。立て看板がポツリと有るだである。
 朝廷工作の窓口の鷹司は既に逃げていて来島又兵衛の
 支援をの為に追い駆け付けた久坂玄瑞は惨敗した長州軍を
 見て最後の砦の鷹司邸に行くが既に主はいない・・
 “ああ、これまで・・”と思ったかは不明だが、久坂玄瑞は
 この場所で切腹する・・でも彼が生きていたら、
 幕末はどうなったのだろうか・?
 でも彼の死がその後の長州の復興につながった気もする。 
 山口は今でも逸材が出る・・どうしてだか分からない・・
 吉田松陰の教えなのか・?
 今日の京都(2021/10/15)は快晴である・・
 蛤御門の変(1864年8月20日)157年前に
 玄瑞はどんな空を見たのだろうか・?