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江蘇省镇江にて

镇江(Zhènjiāng)という町の名前を知る日本人はあまり多くないと思います。
三国志などに興味のある人なら呉の孫権が都を置いた・・
または中国史に詳しい人なら隋の煬帝が作った京杭大運河(北京から杭州) と長江が交わる物流の拠点などと思い浮かべるかも知れない・・
でも私がこの镇江を訪ねたのはパールバック(賽珍珠Sàizhēnzhū)が宣教師の 両親と共に1896年の生後間もない頃から镇江にて累計18年間 (途中大学はアメリカに戻る)この地で暮らしていたことを知ったからです。
幼少期から青年期までの多感な時代に過ごした、この镇江は彼女の精神形成に 多大なる影響を与えていると思うからです。
そして彼女は何時かはこの地に戻ると(戻れると)思い、残しておいた生家が 現在は記念館になり(赛珍珠故居Sàizhēnzhū gùjū)それを中心にその周辺が (赛珍珠文化公园Sàizhēnzhū wénhuà gōngyuán)として保存されていると 知ったからです。

私とパールバックとの出会いはとても浅く何と・・今年の初めぐらいです。
当然彼女は有名ですから名前ぐらいは知っていましたが、きっかけは忘れましたが そのノーベル文学賞受賞作(大地)を今年の春先に読んだからです。

  かなり引き込まれました・・かなりです・・
  文庫本で4冊なので長編だと思いますが、かなり没入しました
  共産党員でもなく有名人でもない只の農民三代が時代に翻弄される話です

その小説の舞台(宿州)を今年の初夏の6月7日に上海出張の合間に訪ねて見ました。

https://www.cj-soft.co.jp/blog051/

何もない広大な(大地)の風景が小説の余韻と共に私をかなり感動させました。

その後、いくつかのパールバックの本を読んで見ました。(多作で驚く・・)

  パールバックと日本(迫害で一時日本に来ている)
  私の見た中国(アメリカ人が見た孫文~毛沢東時代)
  ドラゴン・シード(中国農民から日本軍の加害問題で100%フィクションらしいが?)

ドラゴン・シードの舞台は南京郊外の農村で南京の城壁が見える・・との表記がされているので 舞台は南京だと思いますが、地図を確認すると南京中心部と鎮江の距離は60キロぐらいです。
広い中国の感覚からはお隣さんぐらいのイメージだと思います・・
小説では畑からは城壁が見える・・と書いてありますが、南京の城壁は内外の2種類あり 内側の城壁は2/3ぐらいは今でも保存されていますが外側は地下鉄の駅名でかすかに残るだけで その城壁は今では総て無いと思います。

  畑から城壁が見える
  敵(日本)の攻撃の音が
  パールバックの青春期は镇江で育つ
  ドラゴン・シードはアメリカ帰国に書いている

この小説の舞台は南京郊外ではなく镇江(Zhènjiāng)の郊外ではないかと思いました(事実不明)
南京と書けば誰でもこの地名は知っているし日中戦争などのイメージが浮かびやすいからなのか?
まあフィクション小説(と云っている)なのでどちらでも良いのかも知れないが・・

 ・私は镇江に行ってその現場の空気を感じて見たいと思いました。

2025年12月12日の镇江は曇天のち晴れ

昨夜遅く泰州から镇江苏宁银河国际酒店に着きました。
部屋は65階です。70数階の高層ビルです。 古都には少し違和感を感じますが 窓からは広大な長江(揚子江)が見えます。
その手前には京杭大運河(杭州から北京まで故宮のレンガを運ぶ河)も見えます。
この地は上海、南京、武漢、重慶などをつなぐ物流の拠点だと分かります。
外に出ると少し寒いです。 
南京は夏は暑く冬は寒いで有名ですが镇江も隣なので冬は寒いとの事ですね 街に出るとY字に枝が分かれる南京で見かける大きなプラタナスの街路が広がります。
夏なら道路が広いので大きく広がる枝が丁度良く陽射しを避けるのかも知れませんね

  風情があります
  古都であり歴史があるとプチ自慢・・

と無言で語っているような景色です。
少し歩きました。
小さな街なので少し頑張ればどこにでも歩けるかも(途中タクシー乗るけど?) 少し小高い場所に洋風の建築物が・・そうイギリス租界時代のなごりですね。
上海のバンド周辺の租界エリアほどではありませんが、横浜の山手を小ぶりにしたような 感じです。庭が明らかにイギリス庭園ですね。春ならバラが広がっていると思います。
少し散策しました。何故か刑務所も有りました。誰が入るのだろうか・?
階段を下ると少し先に小高い丘が見えます。
少し歩くとやはり、そうでした

 パールバック(赛珍珠)公園でした。

銀杏や楓等の樹木に囲まれたエリアが見えます。
手前が公園なのか年寄りが孫と遊んでいました。

 ニーハオと云ったらおばあさんが孫にニーハオだよ・・とオウム返し・・

日中の妙な関係はここには無いような・・
大きな階段がありました。白い階段です。 欅の枯葉を踏みながら登ると造形物が

 本を開いた造形物で左に(大)右に(地)と書いてありました。

大地ですね。そこからまた数段上がると大使館のような建物が見えました。
日本にいたときにネットで調べた赛珍珠故居の看板が眼に入りました
何度か見ていたので懐かしいとのことでもないが、

  ついに会えたかと

感慨深い感覚になりました。
建物は10LDKぐらいある大きな家と云うより屋敷ですね。
当時の宣教師は外交官のような役目だったのかも知れませんね
建物の真ん中に螺旋階段がありアメリカ仕様の建物ですね。
途中に乳母の部屋も有りました。
両親は近隣と街にも布教で出かけていたのでパールバックは乳母に育てられたのかも知れません。 小部屋に出版された彼女の本が陳列されていましたが良く眺めると、

 春先に中国の友人から貰った中国語版の“大地”の化粧本

がありました。 私の自宅の書棚にある大地と同じだ・・
と呟き、私にはこの場所に来る資格があるのかも・・と妙な事を思ってしまいました。

 “待っていました”

とは言われませんが、日本からわざわざ来たとの思いは伝わったような気がしました。

20251212
庭に出ると、初冬の景色が広がります。銀杏や欅の葉を踏みながら周辺を散策をしました。 散策できるほどの広さです。
国民党の初期に外国人との事で虐められ1年ぐらい日本(阿蘇)に避難していましたが 当時の中国社会からは特権クラスに見えたのかも知れません。
帰国後書いたドラゴンシード(農村と日中戦争の影響の話)などを読んでみると 反日親日などのスタンスではなく戦争そのことに厳しい眼を注いでいますね。
日本の中国にも偏らない日中関係が見えるような本ですね。
本は読めばある程度理解は出来ますが、現地に来て現地の空気を感じると読書の深みが 少し増すような気がしました。
良い旅でした。 思い出になる旅でした。