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<56>中国重慶にて

スマホを手にしていると不定期に昔の写真が自動で表示されます。
デフォルトなのか私が意図的に設定したのか不明ですが、特段仕組みを調べることもせずに 都度表示される写真に時々の自分を懐かしんだりしていました。
大半は、あんなことも、こんなことも、ぐらいで流していましたが 先月の、ある日に表示されたのは2018年11月16日(約7年半前)の南京の写真でした。
その時の事はかなり鮮明に覚えています。

1人で南京に行きました。孫文支援者の梅屋庄吉が寄贈した孫文像が本来在るべき南京中山陵から 少し離れた中山書院と云う寂れた場所に移転されたと知ったからです。 そこが、どんな場所なのかを確かめたかったからです。
(その顛末は別途機会あれば話します・・)
そして確認してから人里離れた中山書院からの帰り道をトボトボ歩いていると 中山陵を周回するバスが来たので乗りました。
大勢の中国人が乗っていました(当たり前か・・)
少し走るとバスの自動アナウンスで(次は美齢宮)と聞こえました。
するとバスの乗客のほとんどが、ここで下りたので私も美齢宮の意味は分かりませんでしたが 何となくつられて下りてしまいました。
下車して入り口の看板を見ると蒋介石の何度目かの奥さんで宋三姉妹の三女(宋美齢)の 美齢の事と分かりました。
そこは国民党時代の蒋介石の公邸でした。でも、なんで蒋介石の公邸が美齢宮なのか・?
そんな疑問が湧いていましたが、その解を得ることもなく忘れていましたが、 先月のスマホの写真を見たら沸々と沈んでいた疑問が目の前にチラチラと浮かびあがって来ました。

会社の同僚の王に、その話をしたら「当たり前でしょ、あんな人・・」 と冷たい回答でかわされてしまいました。

 ・どうやら中国では評判が悪いらしい・?

その後、私は疑問が解けずにいたのでAmazonで家近亮子さんの「蒋介石、中華の復興を実現した男」と と東京駅前の丸善で浅田次郎の「兵諌」の本を買って読んでみました。
 ・面白い、実に面白い人物だ・・
と引き込まれてしましました。

本を読むまでの私の彼に対するイメージは
 ・日本に留学している
 ・上海で遊郭の女性を愛人に
 ・宋三
姉妹の三女と、お金目当て結婚する
 ・南京事件後に故宮の財宝を持って逃げた
 ・台湾で強権政治を
ぐらいで、ほとんど情報もなく、かなりいい加減な知識しかもっていませんでしたが 本を読むと南京陥落後1937年~1945年の8年間重慶は陪都(仮の首都)となり蒋介石主席だったと 知り驚きました(知識不足で恥かしい)
そして、1945年8月15日に日本がポツダム宣言を受諾して日本の敗戦が確定した時に 日本では、あの玉音放送が流れます。

そして、その同日に蒋介石は重慶で論語の「以徳報怨」を引用して抗日戦争の勝利宣言を行ったと・・
その「以徳報怨」の意味は「怨み(うらみ)に対して、徳(善意・思いやり)で返すこと」
との意味だと知りました・・
何だか、良いことだけど、あの反日の匂いがしません・・

南京陥落後、重慶で彼は何をしていたのか・・
そして「以徳報怨」とは、どのような政情の中で語られた言葉だったのか。
その痕跡を、自分の眼で確かめてみたいと思いました。
・・・・・・

上海での会議など予定の対応を終えて
2026/03/25上海虹橋空港から重慶江北国際空港まで中国東方航空で行きました。
タクシーで街中は見え始めると超高層ビルが多数見ました。新宿の10倍ぐらいか・・
流石、直轄都市(北京・上海・天津・重慶)なのかと圧倒されました。
翌日は数日前にネットで調べていた上清寺中山四路36号にある蒋介石官邸旧跡に向かいました。

そこはホテル周辺の繁華街とは異なり上海のフランス租界のような落ち着いた官庁街で タクシーを降りて少し歩くと大きな銅像が見えました、近ずくと周恩来でした。
今日の目的は重慶での蒋介石の足跡を訪ねるですが、その銅像を見ると妙に期待が膨らみました。v でも、歩いても歩いても見つかりません。行ったり来たりしましたが、眼の前の大きな共産党の 施設があったので怒られるかも知れないが、そこの守衛さんに訪ねたら

  ・蒋介石、、この中にあるけど非公開です・・

との回答で驚きました。一瞬、こんなに重要な近代史の遺産を公開しないとは、まさかと思うが 歴史の隠ぺいなのでは、との疑念が湧いてしまいました。
諦めて別荘が黄山と云う場所にあることは本で読んでいたので、そちらに向かいました。 軽井沢とは言わないが確かに別荘地と云われるような場所でした。
タクシーで30分ほどかかりました。
入口に着くと大きな石柱の門が見えました
「黄山抗戦遺跡博物館」の大きな文字が・・
あれ、蒋介石の別荘のはずだけど、私の読んだ本の間違えか・?
それでも抗日戦争の記録なら、見学をしても良いかと・・とゲートに行くと 何と有料で1人12元でしたが、軍人や65歳以上は無料(中国は老人に優しい?)との事で スマホを出さずに入りました(中国は99%スマホ決済)
広い遊歩道が広がります。左右に樹齢数百年クラスの樹木と綺麗な草花が広がります。
夏ならマイナスイオンに包まれるてか感じの場所です。街中も喧騒とは真逆で静寂で静かで 観光客は殆どいませんでした
広げたり、側道の小さな花をスマホで撮ったりしながら歩くと6~7メートルぐらいの 石柱が見えました。
見ると「台湾返還記念碑」でした。台湾はかつては日本が支配(植民地)していたので 日本の1945年8月15日の敗戦とともに中国に返還された記念碑ですね。
日本は50年ぐらい台湾を支配していました。 学校や上下水道などのインフラや産業育成などを 行っなったとしても、基本は侵略なので課題は多いと思います。
石柱を眺めながら、何で重慶に・・とは思いましたが日本の敗戦のときの中国の首都は重慶なので この場所に有るのは自然な事だと納得となりました。そして石柱に向かい手を合わせました。

眼を左に向けると抗戦遺跡博物館との矢印が見えましたので向かいました。
草花に囲まれが小道を暫く歩くと、上海のフランス租界で見かけるような秀麗な洋館が・・
近ずくと何とそこは蒋介石と宋美齢が住んでいた家との事でした。
そしてそこは訪問出来なかった上清寺中山四路36号の公邸よりも実質の官邸とこ事で驚きました。
何かと政情不安な時代なのでリスク回避だったのかも知れません。
部屋は総て公開されていて会議室、寝室、食堂、書斎など10LDKぐらいで、以前南京で見た美齢宮の1/3ぐらいですが、生活や執務には不便のない家(公邸)だと思います。

施設内に入ると中国で有りがちな共産党賛美の展示と云うよりも蒋介石や宋美齢の生活状況を そのままの姿で展示されていました。
日本に留学した新潟高田の日本の陸軍学校での生活や、故郷(浙江省寧波市奉化区溪口鎮) の思い出や美齢との暮らしぶりなどが展示されていました。
特にアメリカのLIFEの表紙に蒋介石と宋美齢の二人が笑顔で映った表紙を見ると蒋介石は宋家の 財産目当ての結婚と云てはいますが、かなり仲が良く重慶の8年間は幸せだったのかも知れません。
何か、どこか馬があったのかも知れません。

 ・蒋介石は資産家を妻にしてお金の不安から回避した
 ・美齢は持てる能力を発揮して外交など権力の味をしる

20260326
蒋介石は中国で評判が悪い・・ホントなのか・? 何故なのか・?が今回の訪問の目的です。
蒋介石はエリート型の官僚で金融制度を改革(紙幣の統一)など多くの業績を残しています。
日本の留学の経験からなのか組織の作り方も実務的だと思いますし、 宋美齢との結婚でアメリカとのコネみたいなものも出来たと思います。
でも、何故毛沢東に負けたのか・・

  ・蒋介石はエリート(綺麗な住宅、奥さんは財閥のアメリカ留学才女)
  ・毛沢東は叩き上げ(戦争中は洞穴に住む、奥さんは普通・・)

結局当時の中国には字も読めない人も多くいたので結局大衆に受けたのは エリートの蒋介石ではなく叩き上げの毛沢東だったのかも知れません。
どちらが良いのか悪いのかは今の私には分かりませんが、その答えは重慶のどこかに 眠っているような気がしています・・それを確かめるのはまだ早いか・?
重慶・・良い旅でした。謝謝