数年前から、たまに以前に読んだ本を読み直すことがあります。
特段、その原因や理由を調べたことはありませんが、何かの本を読んでいると
あれ、この文章、この感じ、どこかで読んだことが・・
しばし思い起こしても・・なかなか思い出せない・・
私の記憶装置のRAGが劣化したのか・・
数時間後、場合により3日後に、ふとその本のことを思い出す・・
でも、その時に書棚を探しても見つからないが、その作業中に、その本を読んだ時期や どこで買ったなど、妙な事を思い出したりする。
何だか不要な記憶まで、オマケに付いてくる
余計な記憶を除去して必要な記憶だけ引き出せば、私の狭い記憶装置の整理整頓が可能に、 と思うが、どうも上手くいかない・・
今年の3月26日に中国重慶に行きました(詳細は<56>中国重慶にて)
目的は、蒋介石が重慶で何をしていたのかを知るためですが、結果として現場でしか分からない
貴重な体験を得たとの納得感と同時に、また新たな疑問がふつふつと湧いてきました。
なので、帰国後、家近亮子さんの『蒋介石』を再度読み直しました。
その時に眼に入った単語は『兵諌』でした・・
『兵諌』・・なんて読むのだろうか、どこかで読んだような・・
記憶の糸がグルグルと・・そうだ、浅田次郎の『兵諌』だ・・
いつだろう、この本を読んだのは・? どんな内容だったか、記憶が曖昧である・・
私の書棚は、村上春樹、司馬遼太郎、佐野眞一、浅田次郎など数人の好きな作家だけは 図書館のように並べてあるのでハードカバーの『兵諌』はスグに見つかった。
5年位前からネット上に読書記録をUPしてるので検索したら
『兵諌』は2021年10月に読んでいた。でも、その内容の記憶は曖昧で読後のRAGは残っていない・・
重慶帰国後に、この本が文庫本になっているのを知ったので丸の内の丸善で文庫を改めて買いました。
東京駅から藤沢までの帰宅の車内でページをめくると、すぐに引き込まれ、没頭してしまいました。
5年前に読んだはずの本が全く新しい新鮮で鮮烈な本となりました・・
・本の内容は変わらないハズ・・
・何が変わったのか・?
・読み手(私)が変わった・・
数ページ読み始めると、釣りのアタリのようにグイグイ引き込まれる
家近亮子さんの『蒋介石』を読んだり重慶などに行ったりした背景があったからかなのか、
今回の再読では5年前に読んだ印象の100倍ぐらい引き込まれました
当然、本の内容は変わらないハズなので変わったのは私である・・
そして私は沸々と現場に行ってみたいと思いました。
しかも拘束された兵諌の現場です。
出張中の上海では色々な会議などがあるので、週末の休日に西安探索をすることにしました。
・・・・・
2026年6月27日
前日に宿泊先の上海東湖賓館を朝5時半に出た・・
上海虹橋空港から中国東方航空(MU2152)で西安までのフライトとなった・・
地図を俯瞰すると西安は上海から近いな・・と思ったが実際の飛行時間は2時間40分も掛かり日本の感覚とは異なり、毎度ですが中国は実に広いと実感する・・
空港も中国地方都市にはずだけど羽田より広い感じで荷物受け取り場所まで徒歩15分・?
空港に着いたら西安咸陽國際機場の文字が眼に入る、
でもこの場所は西安ではなく古都咸陽だと思うけど
咸陽は誰でも知っている秦の始皇帝(嬴政Yíng Zhèng)の都ですね
西安(長安)は漢王朝を作った劉邦(Liú Bāng)と悪女で有名な呂雉(Lu zhì)の都である
咸陽の秦は短期間で途絶えるが西安が都であった期間は(途中洛陽・・)漢・隋・唐までの約1300年間もある、長い・・
長いものには巻かれろ・・なのかも知れない・?
どちらが偉いのか・?
同行した小王に尋ねると・・そういう問題ではナイと揶揄された
空港を出ると、高層マンションが多数並ぶ景色が広がる、古都の雰囲気が全くしません。
暫くすると、名前は分からないけど西安のHPの表紙で見た有名な塔頭が見えた
徐々に歴史の匂いがして来た・・
どんな匂いですか・・と聞かれても答えに窮するが、
この地に来れば分かる・・としか答えようがナイ
ホテルは雅縵東方庭園ホテルと云うリゾート型のホテルで1階の部屋で樹木に囲まれたベランダもついていました。
上海なら無理ですが地方都市だと物価も安くホテルも安いのでプチ贅沢となりました。
西安に来た目的は高級リゾートホテルで旅を楽しむではなく(多少はありますが)
1936年12月12日に起きた西安事件の真相を調べる為です。
まあ当然、私が何か新たな歴史の真実を発見する・・などの大それたことではありませんが
蒋介石とはどんな人だったのか
これを調べる為です。 本を読めばアウトラインは分かりますが西安は蒋介石にとって進むべき道の変更を余儀された西安事件の場所だと思うからです。
私は、事件の現場を訪れて、その空気を感じて見たいと思いました。
西安事件の現場の驪山は世界遺産の兵馬俑に近いので折角なのでホテルからまずは兵馬俑に行きました。素晴らしい(この件は別途話します)
そこから驪山の頂上までDIDIで行きましたが、登るより下る方が良いかと思ったのですが、大きな間違えで、下っても下っても目的地の兵諌亭に付きません。
休み休みで1時間半ぐらいひたすらに階段を下しました。
やっと兵諌亭に到着する・・大きいのに驚く、その少し横に狭い崖があってその隙間に蒋介石が隠れていたとのこと・・(写真パチリ)
そこからまた1時間ほど下ると華清池五間庁に着きました。
五間庁は蒋介石の別荘なのかと思いますが、執務室、会議室、寝室などがそのまま保存されていました。
1936年12月12日(双12)の早朝、蒋介石は(彼は早起き)五間庁の寝室で日本陸軍時代に習った体操をしていた・・
その時、突然、銃声らしき音を聞く、共産党なのか日本軍なのか不明のまま慌てて裏山に逃げる(かなり慌てたので入れ歯を忘れる)
まだ薄暗い急な驪山の登り坂を登る、そして、その中腹で隠れていた時、確保されるその場所が兵諌亭ですね
DIDIの運転手が登るより下る方が楽と云われて驪山の頂上から下ったので事件の逆をなぞることになりましたが、それでも
西安事件の歴史の原点を見れた気がしました。
歴史にIFは無いけれど、
1936年2月26日、日本では陸軍青年将校によるクーデター事件(226事件)が起き、 同年12月12日、中国では西安事件(双12事件)が勃発した。
その時、蒋介石が信頼していた部下の張学良に兵諌される
この1936年の日中の2つの事件が近代日中関係の方向を決めた気がする・?
張学良の父親(張作霖)は1928年に日本の関東軍により奉天手前の皇姑屯で
列車ごと爆破されて死亡してしまう。いわゆる皇姑屯事件ですね
その時の日本の首相は田中義一(長州人)で、その後、この責任との事で辞任する 彼は鎌倉腰越に別荘を持っていました。
そこは、私の自宅(藤沢市松が岡)から徒歩30分です。数日前に訪ねて見ました
高台の閑静な住宅地に当時のままと思われる姿で残っていました。
関係は無いけど何か妙な糸のつながりを感じてしまう・・
日本で226事件がな無かったら
中国で西安事件が無かったら
日本も中国も今とは異なる状況になっていると思います。
どのように・・と聞かれてもボンヤリですが、大きく云えば戦争の有無さえも 影響したと思います。
素人の非論理的な推論は避けますは、現場を見ると1936年の日中の時間はそれぞれの 近代史の分岐点だったように思います。
西安の旅・・楽しかったです。
特段、その原因や理由を調べたことはありませんが、何かの本を読んでいると
あれ、この文章、この感じ、どこかで読んだことが・・
しばし思い起こしても・・なかなか思い出せない・・
私の記憶装置のRAGが劣化したのか・・
数時間後、場合により3日後に、ふとその本のことを思い出す・・
でも、その時に書棚を探しても見つからないが、その作業中に、その本を読んだ時期や どこで買ったなど、妙な事を思い出したりする。
何だか不要な記憶まで、オマケに付いてくる
余計な記憶を除去して必要な記憶だけ引き出せば、私の狭い記憶装置の整理整頓が可能に、 と思うが、どうも上手くいかない・・
今年の3月26日に中国重慶に行きました(詳細は<56>中国重慶にて)
目的は、蒋介石が重慶で何をしていたのかを知るためですが、結果として現場でしか分からない
貴重な体験を得たとの納得感と同時に、また新たな疑問がふつふつと湧いてきました。
なので、帰国後、家近亮子さんの『蒋介石』を再度読み直しました。
その時に眼に入った単語は『兵諌』でした・・
『兵諌』・・なんて読むのだろうか、どこかで読んだような・・
記憶の糸がグルグルと・・そうだ、浅田次郎の『兵諌』だ・・
いつだろう、この本を読んだのは・? どんな内容だったか、記憶が曖昧である・・
私の書棚は、村上春樹、司馬遼太郎、佐野眞一、浅田次郎など数人の好きな作家だけは 図書館のように並べてあるのでハードカバーの『兵諌』はスグに見つかった。
5年位前からネット上に読書記録をUPしてるので検索したら
『兵諌』は2021年10月に読んでいた。でも、その内容の記憶は曖昧で読後のRAGは残っていない・・
重慶帰国後に、この本が文庫本になっているのを知ったので丸の内の丸善で文庫を改めて買いました。
東京駅から藤沢までの帰宅の車内でページをめくると、すぐに引き込まれ、没頭してしまいました。
5年前に読んだはずの本が全く新しい新鮮で鮮烈な本となりました・・
・本の内容は変わらないハズ・・
・何が変わったのか・?
・読み手(私)が変わった・・
数ページ読み始めると、釣りのアタリのようにグイグイ引き込まれる
家近亮子さんの『蒋介石』を読んだり重慶などに行ったりした背景があったからかなのか、
今回の再読では5年前に読んだ印象の100倍ぐらい引き込まれました
当然、本の内容は変わらないハズなので変わったのは私である・・
そして私は沸々と現場に行ってみたいと思いました。
しかも拘束された兵諌の現場です。
出張中の上海では色々な会議などがあるので、週末の休日に西安探索をすることにしました。
・・・・・
2026年6月27日
前日に宿泊先の上海東湖賓館を朝5時半に出た・・
上海虹橋空港から中国東方航空(MU2152)で西安までのフライトとなった・・
地図を俯瞰すると西安は上海から近いな・・と思ったが実際の飛行時間は2時間40分も掛かり日本の感覚とは異なり、毎度ですが中国は実に広いと実感する・・
空港も中国地方都市にはずだけど羽田より広い感じで荷物受け取り場所まで徒歩15分・?
空港に着いたら西安咸陽國際機場の文字が眼に入る、
でもこの場所は西安ではなく古都咸陽だと思うけど
咸陽は誰でも知っている秦の始皇帝(嬴政Yíng Zhèng)の都ですね
西安(長安)は漢王朝を作った劉邦(Liú Bāng)と悪女で有名な呂雉(Lu zhì)の都である
咸陽の秦は短期間で途絶えるが西安が都であった期間は(途中洛陽・・)漢・隋・唐までの約1300年間もある、長い・・
長いものには巻かれろ・・なのかも知れない・?
どちらが偉いのか・?
同行した小王に尋ねると・・そういう問題ではナイと揶揄された
空港を出ると、高層マンションが多数並ぶ景色が広がる、古都の雰囲気が全くしません。
暫くすると、名前は分からないけど西安のHPの表紙で見た有名な塔頭が見えた
徐々に歴史の匂いがして来た・・
どんな匂いですか・・と聞かれても答えに窮するが、
この地に来れば分かる・・としか答えようがナイ
ホテルは雅縵東方庭園ホテルと云うリゾート型のホテルで1階の部屋で樹木に囲まれたベランダもついていました。
上海なら無理ですが地方都市だと物価も安くホテルも安いのでプチ贅沢となりました。
西安に来た目的は高級リゾートホテルで旅を楽しむではなく(多少はありますが)
1936年12月12日に起きた西安事件の真相を調べる為です。
まあ当然、私が何か新たな歴史の真実を発見する・・などの大それたことではありませんが
蒋介石とはどんな人だったのか
これを調べる為です。 本を読めばアウトラインは分かりますが西安は蒋介石にとって進むべき道の変更を余儀された西安事件の場所だと思うからです。
私は、事件の現場を訪れて、その空気を感じて見たいと思いました。
西安事件の現場の驪山は世界遺産の兵馬俑に近いので折角なのでホテルからまずは兵馬俑に行きました。素晴らしい(この件は別途話します)
そこから驪山の頂上までDIDIで行きましたが、登るより下る方が良いかと思ったのですが、大きな間違えで、下っても下っても目的地の兵諌亭に付きません。
休み休みで1時間半ぐらいひたすらに階段を下しました。
やっと兵諌亭に到着する・・大きいのに驚く、その少し横に狭い崖があってその隙間に蒋介石が隠れていたとのこと・・(写真パチリ)
そこからまた1時間ほど下ると華清池五間庁に着きました。
五間庁は蒋介石の別荘なのかと思いますが、執務室、会議室、寝室などがそのまま保存されていました。
1936年12月12日(双12)の早朝、蒋介石は(彼は早起き)五間庁の寝室で日本陸軍時代に習った体操をしていた・・
その時、突然、銃声らしき音を聞く、共産党なのか日本軍なのか不明のまま慌てて裏山に逃げる(かなり慌てたので入れ歯を忘れる)
まだ薄暗い急な驪山の登り坂を登る、そして、その中腹で隠れていた時、確保されるその場所が兵諌亭ですね
DIDIの運転手が登るより下る方が楽と云われて驪山の頂上から下ったので事件の逆をなぞることになりましたが、それでも
西安事件の歴史の原点を見れた気がしました。
歴史にIFは無いけれど、
1936年2月26日、日本では陸軍青年将校によるクーデター事件(226事件)が起き、 同年12月12日、中国では西安事件(双12事件)が勃発した。
その時、蒋介石が信頼していた部下の張学良に兵諌される
この1936年の日中の2つの事件が近代日中関係の方向を決めた気がする・?
その時の日本の首相は田中義一(長州人)で、その後、この責任との事で辞任する 彼は鎌倉腰越に別荘を持っていました。
そこは、私の自宅(藤沢市松が岡)から徒歩30分です。数日前に訪ねて見ました
高台の閑静な住宅地に当時のままと思われる姿で残っていました。
関係は無いけど何か妙な糸のつながりを感じてしまう・・
日本で226事件がな無かったら
中国で西安事件が無かったら
日本も中国も今とは異なる状況になっていると思います。
どのように・・と聞かれてもボンヤリですが、大きく云えば戦争の有無さえも 影響したと思います。
素人の非論理的な推論は避けますは、現場を見ると1936年の日中の時間はそれぞれの 近代史の分岐点だったように思います。
西安の旅・・楽しかったです。